青島太平洋マラソン。
2度目のチャレンジです。
前回は、35キロで無念の歩きが入り、4時間40分くらいでゴールでした。
左膝の痛みと右足の攣りみたいな、あわせ技だったように記憶してます。
今から5年前です。
その時は、末っ子を連れて、実家に戻りました。
父親も、まだ杖で歩ける状態でしたから、みんなで、第1折り返し地点の宮崎神宮まで、応援に来てくれました。
しかし、駐車場がわからず、おそらく、現地に到着したのは、僕が通過した後だったようです。
それで、今回は、母親の気合も違います。
残念ながら父親は、病院で応援にはこられませんが、親戚等、5、6人で応援に駆けつけてくれるようです。
ちなみに、平均年齢70歳以上の応援団です。
とにかく、わかりやすいように、何か目立つ物を身につけるようにいわれます。
赤い大きな鉢巻があるので、これを巻いて走れだの、言われます。
幾ら親戚の提案とはいえ、そんな僕の雰囲気を乱すような、提案には、丁重にお断り申しあげました。
そして、当日の予定ウェアである、北海道マラソンのウェアを見せると、なんとなく納得したようです。
「ようし、わかった」
「紺色のウェアじゃね」
「これで、見つけられる」
スッカリ自信満々です。
あれだけ大量に走るランナーの中から、いくらウェアの色がわかったとしても、老人に見つけるのは、絶対無理なんじゃないかと僕は、思います。
しかし、まあ、宮崎神宮の折り返し地点で、こちらから探してやればいいか・・なんて考えました。
ポイントさえわかれば、ランナーからの方が発見する確率は高いはずです。
ですから、10時半までには、宮崎神宮の前にスタンバイするように伝えておきました。
スタートしてから、宮崎神宮が近くなり、僕は、少し沿道に注意しながら走りました。
彼等を発見しなければならないという大事な使命があります。
父親には、写真を撮って来いといわれていたので、叔父さんは、カメラを担いで、応援に駆け付けてくれてます。
ですから、見つけたら、記念撮影でもしようかと思い探します。
しかし、まったく見つかりません。
折り返しを過ぎて、かなり気合いを入れて、目を凝らしながら走りましたが、結局発見できず。
もしかしたら、今回も駐車場でモタモタしていて間に合わなかったのかもしれません。
親戚の応援団に挨拶するのは諦めて、先を急ぐことにしました。
ゴールしてから母親に電話してみます。
無事ゴールできたこと。
それから、宮崎神宮で探したけど見つからなかった事の報告です。
すると、なんと、宮崎運動公園まで応援に駆け付けたらしいじゃないですか。
だいたい、紺のウェアという情報だけでは、見つけられないと親戚一堂から文句の嵐をうけて、そのまま、32キロ地点でもゴール地点でもある、宮崎総合公園に車でかけつけたらしいです。
そこで、なんと僕を発見して、名前を呼んだらしいじゃないですか??
えっ?ぜんぜん気づきませんでしたけど。
そして、
「ゼッケンは、1xxxxだったじゃろ?」
と聞かれます。
うーん。
それ僕の番号じゃないなあ・・・
絶対、他人を僕と勘違いして応援したに決まっています。
きっと違うランナーを僕だと思って、親戚一同で声をかけたんだろうなあ・・・
まあ、夢は壊さないでおこう。
それにしても、気になるのが、そのランナーです。
突然、老人の軍団に、自分とは関係ない名前で応援されたランナー。
きっと、狐に包まれたような感じだったのではないでしょうか?
高齢化していく、これからの、日本。
いろんな状況に対処できるようにしておかなければ。
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